ここでいう安定とは

そいつがあたりまえにそいつとして生きている状態のこと。

ここで言う安定は、優しい世界とか、世の中でよく言われる「自分らしさ」みたいな話ではない。

鈴虫がぴょんぴょんして、草をむしゃむしゃして、ひゃんひゃんと鳴いて、それを見た人が「ああ、秋だな」と思うように、ひとりの個人があたりまえに個として生きている。

その状態を安定と呼びたい。

安定とは、感情が常に穏やかであることでも、生活が外側から見て整っていることでもない。

むしろ、生活者としての自分、職人としての自分、共感者としての自分、この三者が噛み合い続けていることに近い。

1.人は一人の生活者である

2.人は一人の職人である

人は一人の共感者である

安定とは三人格が噛み合い続けること

つまり安定とは、生活者、職人、共感者の三者が独立して存在することではない。

三者が総合的に「そいつ」として噛み合い続けている状態である。

生活者が安定しているから、職人は継続して精進できる。職人としての実感があるから、生活者としての自己肯定感も支えられる。

共感者が世界を利害抜きで味わうから、職人には創造性が供給され、生活者には情緒の余白が生まれる。

この三者のどれか一つだけが肥大しても、人は安定しない。

生活者だけになると、ただ維持するだけになる。職人だけになると、成果やロールに自己を吸われる。

共感者だけになると、世界に浸ることはできても生活や責務を運転できなくなる。

安定とは、この三者が互いを殺さず、互いに支え合いながら回り続けている状態である。

「個と個」として人と話すということ