長いあいだ、自分は「知恵を渡す」という仕事をしているつもりだった。研修を作る。後輩に伴走する。事業やプロジェクトの判断を一緒にする。経験して分かったことを記事にし、考え方を整理し、具体例を増やし、分かりやすくする。そういうことをかなりやってきた。
実際、それによって人が前に進むこともある。何も知らなかった人が構造を理解できる。一人なら折れていたところで続けられる。次に何を試せばいいか分かる。だから教育や情報提供として、やってきたことが間違っていたとまでは思わない。
ただ、ずっと妙な違和感があった。
「今、自分の知恵がこの人に渡ったな」と感じられる瞬間がほとんどない。
しかし、体系的にはほとんど教えていないのに、長く一緒に働いていた人が、自分と似たシーンで適切な違和感を持ち、遂行していくようになることもある。
少し前までは、「知恵はそもそもデリバリーできないのではないか?」と考えていた。今は少し違う感覚。
「知恵は、情報のようにはデリバリーできない。」
情報なら、こちらが持っている内容をかなり似た形で相手に届けられる。
でも知恵は、受け手の側にある経験や現在の状況と接続されない限り、同じものとして立ち上がらない。
ずっと知恵のデリバリー問題だと思っていたものは、実はかなりの部分が、知恵の復元条件の問題だったのかもしれないと思った。
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