なぜ深い大義のある団体こそ、いつも極端で、実態の指標がズレるのか。

思考のトリガー

なぜ人間は「実行」よりも先に「正当化」にこんなコストを払うのか。

アニマルウェルフェア(動物福祉)系は苦痛感受能力があるか?が対象たるかの線引きなんだけど、そもそも線を引く目的と価値があんまりわかってなかった。

そもそも痛覚の証明自体の定義が結構曖昧だしめっちゃ金かかる。

自分という個人も、ある種似た構造に直ぐに陥って正当化コストに過剰になる自分がいる。

一次理解

ちょい構図がわかってきた。

大義を持ちがちでコストがかかるおよそは、

  1. 自己矛盾を避ける
  2. 説明性を維持する

っていうこの二つが働いていて線引きが作られやすい。

二次理解

「戦略的に合意を重んじて集団で何かを進めること」を前提にしたセオリーとしては、多分今後も有効そう。

それ系はもろもろ崩れるというか個の解釈による実権が強くなるので再定義が進みそう。

同じ大きな像に向かうために同じ定義や解釈を押し付ける形式はコストが高く多所属制の反対になりやすい。

それゆえに方法論の有効性は残るけど、巨大強力構図型への参加者自体が減っていくから勢力が減っていきそう。

ってように大局としては見える気がする。

一次疑問にもっかい迫る